6-2 科学・技術・工学の相違と「研究開発」

 その後ETT(創業支援推進機構)を創設し、様々な新技術、新規事業の立上げ前の技術・事業性評価を高い次元で提供してきた。ベンチャーや中小企業、大企業や国研の要請に基づき、それぞれに基礎科学、応用技術、製品開発、市場性、事業性等について各々第一級専門家五~十名程が異なる価値観で密度濃く審議する。事業面は無論、科学面、技術面、工学面などの様々な角度から深い知見が披露される。これらの判断を俯瞰すると、科学とは「真実か否か」の普遍性と、発見の大きさが問われる。一方、技術とは個別的事物に対し「適切か不適切か」が問われ、具体的な発明、特許の軽重が遡求される。一例だが「SONY」に適しても「Panasonic」に適さない技術はある。科学にはそれがない。また工学とは結局、経済性、単品やシステムの効率が高いか低いか、端的にいえば利益が出せるか出せないか?にその存在の基準が見えてくる。その結果「科学・技術・工学の相違」が判然とするのだ。数年前、研究・技術計画学会に呼ばれ、こうした研究開発の評価や事業性の判断についてお話をさせて戴いた。

 後日、講演時に聴講しておられたNEC元基礎研究所長・齋藤冨士郎理学博士から賛意とご著書を戴いた。題名は「『研究』と『開発』を考える」(NECクリエイティブ発行)。読めば読むほど考え方の波長、氏の研究開発現場からの深い洞察と謙虚な姿勢、及びイメージの明確さに目から鱗が落ちたものである。

 本書を要約すると、「科学」とはラテン語のscientiaという由来より紀元前から意味が明瞭。科学とは“正しい知識を追求すること”であり、その追求に基づく発見は、普遍的で誰に対しても、どの企業にも正しい。しかし「技術」は異なる。「技術」とは、ある人、ある企業にとって好ましい事物が、他の人、他の企業にとって必ずしも好ましい事物でないこともありうる。即ち、技術は、科学のように“正しいか正しくないか”“真実か否か”ではなく、“好ましいか好ましくないか”“適するか否か”の基準に基づき、もはやそれ以上の選択の余地が無い、ぎりぎりの判断を求められるもの。

 従って両者は相互に関連するものの「それぞれが似て非なるもの」なのである。技術は科学のように普遍性や一般性は問われず、徹底した個別性や具体性が追求される。だから科学の研究開発は「何の役に立つのか」を追求することは本来筋違いなのに対し、技術の研究開発は「何の役に立つのか」に対し明確に答えられねばならない。技術の成果である発明・特許は「正しい」ではなく「好ましい」を主張する。もし「正しい特許」たる特許明細に於いて「紛れも無い真実である特許」を書こうとしたら容易には書けないことは明らかである。何故なら真理とはそもそも全ての人々が普遍的に利用できるものだから、初めから特許にならないのである。

 工学と技術も峻別可能。即ち工学は効率向上、即ち経済性に係わる。経済性とは利益がでるかでないかを問題にすることであり、工学とは損得に係わっている。機械工学でも電気工学でも、また最近の金融工学などでも、最終的に問題とするのは「効率を高めるための学問」或いは「より効率的に物事を実現していく方法を見つけるための手法」といえる―と述べている。齋藤博士の作表を若干タッチして研究開発をイメージ、二十世紀初頭に生きた代表例として、科学に対しアインシュタイン、技術に対しエジソン、工学に対しフォードを当て嵌めてみた。関係する方々のご参考の一助になればと思う。


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